内視鏡の誕生秘話

世界初の純国産品、腹中カメラ

現在の無痛内視鏡に至る迄、その歴史には胃カメラの開発が、大きく貢献している。胃がん・大腸がんの治療、早期発見・早期治療に用いられることはよく知られているが、それが昭和25年に日本人の若い医師や若い技術者達の手で世界で初めて開発された事はあまり知られていない。

戦後の混乱で食料にも不自由していた昭和24年、宇治達郎(30)は、東大医学部付属病院分院の外科医をしていた。数多くの胃がんの患者が、がんの発見の遅れから命を落としていた。宇治は何とか早期に胃がんを発見できないものかと思い始めていた。

昭和24年8月31日、キティ台風が関東地方に上陸していた。その日、長野県に出張中だった宇治は、ひとりのカメラ技術者、杉浦睦夫(32)と知り合った。
「胃の中を撮影する小型カメラの開発に協力してほしい!」
強風の為、中央線高尾駅で待機のため停車してしまった列車の中で、乗り合わせた杉浦に宇治は夜を徹して日頃の思いを熱く語った。

若い医師の熱意と、若い職人達の努力の結晶

嵐の夜の運命的な出会いをきっかけに胃カメラ開発に没頭した。杉浦は、会社の同僚の技術者、深海正治(29)とともに、勤務後、超小型カメラの開発をはじめた。

当時の胃カメラは、今の胃カメラとは違い、超小型の写真カメラだった。
昭和の初期、胃の内部を確認する機器に胃鏡があったが、長さ約70センチの鉄の管の内部に鏡が据え付けられたものだった。しかし、消化器を突き破り患者が死亡する事故が相次ぎ、使用されなくなったのだ。

1ヵ月後に設計図ができた。フィルム、レンズ、電球を超小型カメラに内蔵し、直径12ミリの管の先につけるというものだった。フィルムは杉浦が通常の35ミリフィルムを6ミリの幅で切り、レンズは熟練レンズ職人に、1ヶ月をかけて直径2.5ミリのレンズを作ってもらった。

胃の中を照らす電球が最後の問題であった。
小さい電球で、なおかつ照度が要求される。電球職人の名人という若者、丸山政人(23)が担当した。丸山は、フィラメントを2重にした直径5ミリの電球を作った。自慢の電球の成果を杉浦に見せると、3回の発光の後4度目に切れてしまった。
「胃カメラの電球は、20回以上発光しないと使い物にならない」
杉浦の一言は、職人丸山のプライドを傷つけた。「意地でも納得できるものを形にしてやる」と丸山は思った。

昭和24年12月東大病院で胃がんの治療を続けていた宇治のもとに試作機が届けられた。体内を傷つけないように、管は柔らかい直径12ミリの塩化ビニールが使用されていた。早速、宇治医師と新人医師今井光之助(23)は、待ちに待った胃カメラの試作機で、犬の胃を撮影する事になった。
たしかに、犬の胃の中は写っていた。胃の内部の写真が取られていた。が、胃の中のどの部分を写したのか分からないという、大きな問題にぶち当たった。胃の内部のどの部分が患部なのか分からなければ、事前に処方が立てられないのだ。

世界ではじめての胃カメラの映像

半年間、犬を使った胃の中の撮影も、宇治医師と今井医師の下、管の長さを換えたり試行錯誤を続けるが、いい結果は得られなかった。実験は、病院の勤務の終わった夕方以降に行われていたが、ある日たまたま室内の電気を付け忘れて実験に没頭していたときだった。薄暗い研究室の中で胃カメラのシャッターを切るたびに、犬の腹の皮膚を通して内部の電球の光が透けて見えていた。外部から、どこを撮影しているかが確認できた瞬間だった。そんなころ、杉浦の元に丸山が電球を持ち込んだ。20回以上光る電球が完成したのだ。

昭和25年9月、人の胃の内部の撮影実験が行われた。薄暗い手術室で、患者の腹が21回光った。すぐさま現像すると、はっきりと潰瘍が写っていた。

世界で初めて人の胃の内部の写真が撮影されたのだ。

以後現在にいたるまで、胃カメラは進歩を遂げ、現代医療、胃がんの早期治療には欠かせないものになったのだ。

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